20120516

MakerBot Thing-o-Matic 組み立てメモ

MakerBotのThing-o-Maticを2011年9月に購入したのだが、その後なにかと時間と余裕がなくて、組み立ての途中で放置してしまっていたのをあわてて組み上げることにした。ということで、今回はThing-o-Maticについての簡単なレポート(備忘録)を掲載してみたい。今回は組み上がりまでのレポートである。

まず購入手続きについて。本家サイトからクレジットカード決済で購入。手元に届くまで約一ヶ月と聞いていたが、実際にはそこまで時間はかからなかった。購入時に特に意識しなかったが、今回購入したのは「MK6」のものだった。これを書いている時点で「MK7」が出ているので、これから購入する際は自分が購入しようとするバージョンがいくつのものかを確認した方がいい。バージョンによって出ている情報が異なる場合がある。ちなみにABS樹脂フィラメントも同時に購入しておいた方がいいだろう。

段ボール箱にすべての部品が梱包されて届く。思っていた以上に大きな箱で届く。電子部品関係はある程度のまとまりで小袋に分けられているが、ネジとベニヤ、アクリルなどはすべてまとめられている。特にネジは数種類の長さの物を使用するのだが、それらがひとつの袋に入っているため、作業中により分ける必要があって面倒だ。ベニヤ部品の中に、ネジの長さと太さに関するイラスト付きの一覧が印刷されたものがあるのだが、私はその存在を組み立て工程の最後の最後まで気がつかなかったので、作業中は非常に不便を強いられた。部品の欠品はなかったが、ナットの数については余分を見込んではいないらしく、私の場合は最後の底面パーツの組み上げに必要なナットが足りなくなってしまったので、構造上必要のない箇所のパーツを外してそこに回す必要があった。パーツが梱包されている場所がわかりづらかったのは熱電対で、白いパラフィン紙に包まれているのだが、これは本家サイトにも注意書きがあったものの見つけづらいものであった。

組み立てに関しては、基本的には本家サイトに掲載されている方法をたどればよい。バージョンの違いで途中分岐するので要注意だ。基本的にはひたすらボルトを回す作業が待っている。レンチは親切にも各種サイズが同梱されているので購入する必要はない。レーザーカットされたベニヤの断面は黒く煤けており、作業中に手が真っ黒になる。また、可動部分のシャフトが潤滑油でヌルヌルで、これもまた手が汚れる。

組み立てで困った点はあまりなかったが、強いていえば、コンベヤに2本の軸を通してこれを台に固定する箇所の長さがジャストサイズで作られているのでギッチギチなこと、本体底面部に格納されるマザーボード部分の配線がごちゃごちゃっとして収納しづらいこと、くらいか。マザーボードに対して、1本のリボンケーブルを適当な長さに切って配線する箇所については、あまり余裕のある長さではないので長さを確かめながら切る必要があるだろう。配線は手順書にあるが、全体を一覧できる資料としてはこの図が便利であった。所要時間は合計で30時間もあれば十分ではないだろうか。本家以外に参考にしたサイトはこちら

すべてが組み上がってからの作業がまたひと山。モーターの電圧調整は面倒だが手引きにあるとおり実施したほうがいいだろう。テスターは必須だ。Pythonをインストールしたり、ToMで実際にモデルを出力するためのソフトウェアであるReplicatorGを入れたり、マザーボードのファームウェアをアップデートするなどといった作業を機械的にこなす。ちょっと手数が多いので面倒だが、我慢してやろう。ReplicatorGをインストールし、USBでToMに接続すればいよいよ動作目前である。

20120226

WIZDOM レクチャーシリーズ - vol.2

WIZDOMのレクチャーシリーズで講演したので、その内容についてここでも簡単にまとめておく。

今回は「知識ゼロからのArduino」と謳っているが、内容のほとんどはEagleの使い方とfusion PCBでの発注方法について説明するものであった。本当であれば前回の(1)と一緒に説明する内容だったのだが、はんだごてでの作業に思いの外時間がかかったために、内容を2分割することになったわけだ。

さて今回の目的は、前回のレクチャーで作成した環境計測用センサ(温度と照度のみ)を、今度はEagleで回路図を作成してfusion PCBに発注し(て、よりはんだ付け作業を簡便化し)ようというものだ。したがって、前回作成した手はんだ基板の回路を見直すところからはじめた。

慣れないうちはいきなりEagleで回路を設計するのではなく、電気的にどことどこが等価なのかを確認しながら、まずはフリーハンドで回路図を書いてみることが必要だと思っている。その上で、Eagle上にその回路を書き写し、必要な寸法に収まるようにレイアウトを考えてゆくのが、まぁオーソドックスな手順なのではないか。

Eagleはその使い方に関する文献(文字通りの活字媒体)が無いので、こんなごくごく簡単な内容のレクチャーでも、そのハードルを下げるのに十分役立つのではないかと思われる。とにかく、ごくごく簡単な回路でいいので一度Eagleで書いてみて、基本的な操作を身につければその先はすぐに拓けることだろう。

Eagleは基本的に英語のインターフェースなのと、微妙な操作性とから、初心者にはなかなか取っつきづらいソフトウェアだと思う。そういった意味で、Adobeのイラストレータなどはショートカットも充実していてかなり使いやすい部類だと思う。イラレの操作性を期待してEagleをいじるとかなり凹むことになるだろう。

それでもひとたび手順さえ理解してしまえば、オペレーション自体のハードルはそんなに高くはなかったことにすぐ気がつくことだろう。問題は、さまざまある部品ライブラリの中から自分に必要なものを見つけられるかということと、回路設計そのものへの理解が足りているかということのほうが、より重要な問題であることに気づくはずだ(これはイラレでいえば、オペレーションへの習熟よりも作家性の方が最終的には重要ということと同じ)。作家性はオペレーションの習熟とともに育つとするならば、とにかく最初の一歩を踏み出すだめの今回のようなレクチャーは、それなりに意義があると言えるだろう。

20120210

「物語」と「論文」

ここのところ卒論修論の原稿をチェックする機会が多かったのだが、それらの面倒を見ている最中にふと気がつくことがあったので、備忘録がてらちょっと書いてみようと思う。テーマは、「物語」と「論文」の構造的な違いについて、である。

言うまでもなく「物語」と「論文」とは異なる性質のものであるが、これは単に内容の違いだけではなく、その構造自体に決定的な違いをもっており、その構造的な違いこそが「物語」と「論文」とを分ける根拠となっている。そして多くの学生がその構造的な違いに気がつかず、「論文」を書いているつもりで「物語」を書いてしまうという罠に陥っている。そこでこの文章では、この構造的違いについてまず明らかにした上で、陥りがちな罠を回避するための手立てを示してみたいと思う。

「物語」の代表として、よく知られている「桃太郎」の内容を題材に取ってみたいと思う。言うまでもなく「桃太郎」は、どんぶらこと揺られてきた桃から生まれた赤ん坊が、3匹の供を従えて鬼ヶ島に向かい、見事鬼を退治して帰還するという「物語」である。この物語において、文章は最初から最後までを貫通する一本の時間軸上で記述されるだけでなく、ひとつの出来事の後にさらなる出来事が連鎖的に繋がり、それらひとつひとつのドラマティックな内容が読者の手に汗を握らせ、先の読めないような展開に興奮したり感動を呼ぶのである(大げさ)。かなり端折っていえば、この離散的かつ直線的な連続性こそが「物語」の主たる構造といってよいだろう※1。

ではこの「桃太郎」を、「物語」としてではなく「論文」として記述しようとするとどうなるか考えてみたい。まず最初に、「この物語は、桃から生まれた少年が3匹の供を従え、鬼ヶ島に住む鬼を退治する物語である」と記述することからはじめなければならないだろう。なんだネタバレではないか、と思うかも知れないが、論文の発端はこのようにシンプルな記述でその全貌が明かされる必要がある。最後の最後まで読んでみなければ結論がわからないような論文は、これは「論文」ではなく、ハラハラドキドキの「物語」に他ならない。他にも、おじいさんとおばあさんが山や川に行くくだりについては、「おじいさんとおばあさんはそれぞれ家事を分担しており、具体的におじいさんは~おばあさんは~」と書くべきであろう。また、3匹の供を従えるくだりについては、これらを記述する前に「一人での鬼退治は心許ないので、桃太郎は旅を共にする仲間が(少なくとも3人は)必要だと考えた」とでもいうような一文を設ける必要があるだろう。犬、猿、雉が物語の展開上に一直線に順を追って登場するのではなく、「結果的に犬、猿、雉の3匹を従えることとなったのだが、その経緯は以下の通りである」とでもいうように、この先の展開を先に前倒して示してしまうのが「論文」の構造といってよいだろう。

以上より私の主張をまとめると、「物語」の構造は①その先の展開を意図的に隠す演出をおこない、②文章の流れの上に一次元的(リニア)に進行するものである。一方で、「論文」の構造はこれと対照的に、①先の展開を事前に要約して示し、②文章の流れの上に並列的(パラレル)にこれらを並べて進行させるものであるといえる。モノに喩えると、「物語」はナイフのように一直線であり、「論文」はフォークのようにある分岐から先別れするものだと言えるだろう。

このことに気がつかず、延々と一直線に「物語」を語る論文が多い。分岐点に至っても、それが初読の者にとって分岐点であることに気づかせられない書き方をしている。特に卒論ではじめて論文を書く学生ならば、このことに気がつかないまま書かれることが往々にしてあるものだ。これは論文とはどのようなものかという教育がなされないことに問題の原因があると思うのだが、その責任はそれを教える立場の我々にある。

ではこの問題を解決するためにどのような手立てが考えられるだろうか。言うまでもなく、ストーリーをダイアグラムとして表現することが第一の手立てとなるだろう。

例えば、桃太郎の内容(簡単のため一部省略)を、「物語」としてダイアグラムに表現したものは次の図の通りとなる。

(作図中)

ここでおじいさんとおばあさんの登場から鬼ヶ島から帰還するまでの話は一直線に繋がって表現される。桃太郎の物語の中には特に目立った伏線もないため、複雑な構造にはならない。複雑な構造ではないからこそ、幼少の子どもたちでも素直に楽しめる物語になっている。

では今度は、これを「論文」として表現する場合のダイアグラムを次の図に示す。

(作図中)

最初に物語の全貌を概要として示している。図中のアイコンが小さいのは、そのディテールや内容を必要最小限に削ってコンパクトにしたためである。これらは実際の本文中に詳細に述べればよい。次に背景となる部分だが、桃太郎の出自と鬼退治への動機を述べる必要がある。なぜ桃太郎は鬼ヶ島へ向かうことになったのか、その動機が述べられた後に、具体的にどうやって鬼退治をするのかという方法論が述べられねばならない。そこで先にも述べたように、単身の鬼征伐では心許ない、あるいは行きがかり上の必然として、3匹の供と連れ立つことになるのだが、先にこの事実を述べた後に、それぞれとの出会いについての詳細を述べることになる。つまり、3匹を供とした事実について述べる部分がフォークの付け根の部分となり、フォークの個々の先端はそれぞれの供との出会いに関する具体的な内容を述べる部分となる。このように、話が並列化する手前の分岐点では、読者が迷子にならないように分岐であることを明らかにし、個々の分岐について述べた後はそれらが再びひとつの話に合流するような記述も加えなければならない。桃太郎でいえば、「こうして桃太郎は3匹の供を連れ、鬼ヶ島に向けて船をこぎ出したのでした」とでもいうように。

最後に、桃太郎はみごと鬼を退治しておじいさんとおばあさんの元に帰還するわけだが、最後にまとめとしてきちんと論文全体の要旨を記述しなければならない。通常、背景部分についてはまとめでは言及しないので、具体的にどういう方法で目的を達したのか、そこで得られた考察は何であったかについて述べる。桃太郎でいえば、3匹の供と協力することで鬼を退治したということが述べられることだけでなく、金銀珊瑚といった宝を持ち帰ったことについても言及する。桃太郎の物語には、その後の桃太郎の活躍などについては触れられていないが、論文では本来、その後どのように研究が発展できるかについて述べる箇所がある。仮に桃太郎の物語を拡張するとして、桃太郎が持ち帰った金銀財宝で、鬼によって廃れた都の復旧財源とした、などとするのがよいのではないか。

(作図中)

さて、桃太郎を例にとって「物語」と「論文」との違いについて述べてみたが、「論文」にあって「物語」にないものは、シナリオの分岐点となる箇所で読者を路頭に迷わせないための「道しるべ」に他ならない。この先のシナリオがどのように分岐し、それらの分岐が再びどこでひとつに合流するのか、これを示すだけで読者の理解はかなり改善される。論文は難しいことを難しく書いたものではなくて、難しいことを誰もが理解できるように書き改められたものでなければならない。そのためには、話の展開を誰よりもよく知っている筆者自身が、その道しるべを読者に対してきちんと示してあげなければならないのである。

※1:もちろん重層的な「物語」も存在するが、ここでは簡単のため、ごくシンプルなおはなしを想定してもらいたい

*

ちなみに、論文の書き方についてのメモを研究論文をシステマティックに書く方法にまとめたので、そちらも合わせて参照してみて欲しい。

20111223

日本性神巡り - vol.2

日本各地に点在する「性神」を巡る旅。

その第2回目の記事は、いまだに性神信仰の影響が色濃く残り、原点ともいうべき場所である岩手県の遠野を巡ったときの事をレポートしたいと思う。この遠野巡りは私にとっては初めての「性神巡り」の旅であった。

遠野を訪れたのは2009年の夏のことであった。仙台で行われた建築学会での講演を終えて、その足ですぐにレンタカーを借りて岩手に向かった。途中で気仙沼にある石山修武の「リアスアーク美術館」に立ち寄るなどし、深夜に遠野駅前に到着、その日は近所の駐車場で車中泊し、夜を明かした。翌日はあいにくの小雨模様で、性神巡りをするにはちょっと足下が心許ない感じではある。

実はこの遠野巡り、事前にリサーチすることなく半ば思いつきではじめたものであった。したがって、最初はどういうところを探せばいいのか全く見当もつかなかったので、手当たり次第に神社や祠を地図から探し、片っ端から覗いて廻った。最初の2カ所くらいは普通の神社でまったく収穫がなかったが、3カ所目くらいでようやくたどり着いたのが「程洞金勢様」と呼ばれる程洞金勢稲荷である(写真1枚目)。

この祠には陰石と陽石、あるいはそれらを象った木造が安置されている。見たところ、真新しいものも見受けられるので、現地の人の中には変わらず信仰を続けている人がいるのかも知れない。境内は針葉樹と広葉樹の混じる斜面に設けられており、最寄りの道路からは少々山道を上がる必要がある。参道は坂道で、決して大きくはない鉄製の鳥居を途中でいくつかくぐると社殿と祠にたどり着く。社殿の方には特に何もなかったように記憶している。祠と社殿との間には清水の湧くところがあり、この日の天候のせいか、蕩々と水が流れていたのを記憶している。

境内にある杉の巨木は根本付近で二股にわかれており、分かれ目付近に注連縄が施されている。これは言うまでもなく女性器の隠喩であろう(写真2枚目)。

次に向かったのは「山崎金勢様」と呼ばれる陽石の祠である(写真3枚目)。山崎地区の集会所の駐車場に車を止め、そこから徒歩で向かうがこれは大した距離はない。おそらく自然石なのだが、もしかすると多少は人為的に手が加えられた形かも知れない。これも注連縄が施されている。

陽石を見学した後、車に戻る際に集会所の中を覗いてみて思わず喫驚した。こぢんまりとした御輿の上に、男根を象った「ご神体」らしきが鎮座しているではないか(写真4枚目)。その後方には祭の時の様子を写した写真が掲示されており、これを担いでいるのはどうやら地元の子どもたちのようである。まだ年端もいかない小学生の子供らがこれを担いで集落を練り歩く姿は、性神信仰がまだこの地域には根強く残り、大人らの狭隘な衛生化(サニタライズ)の手からこの文化が守られていることが推察できる。また、「山崎金勢さま音頭」が掲げられており、その歌詞は男女和合の明喩・隠喩がちりばめられている。

20111216

Archiduino Project - vol.22

建築系におけるArduino利用計画としての「Archiduino Project」。

日本建築学会の情報システム利用技術シンポジウムで「オープンソースハードウェアを用いたローコストワイヤレスセンサネットワークの開発と実装」と題して講演を行いました。これまでの「Archiduino Project」を7つのフェーズに分けて、それらについて簡単にまとめたものです。今回は特に小型化と低価格化に加え、行動と環境のセンシングデータを応用した行動推定について新規に紹介しました。この委員会の研究集会はいつも楽しいのでテンションあがりまくりでしゃべくりました(笑

先日のMTM07で販売したArchiduino基板についても、基板だけですが、希望の方に配布ししました。基板そのままでは使えませんので、せっかくですから自前で部品をそろえていただき実装してみて下さい。取扱説明書はこちら

せっかくなので有言実行と言うことで、ArchiduinoのEagleデータやFusion PCBにそのまま発注できる状態でのデータを公開したいと思います。ライセンスはGPL準拠でお願いしたいと思いますので、基本的に改変した場合は公開していただければと。さらには「もっとこうした方がいいよ」というアドバイスもいただければと思いますので、それはTwitterでお願いします。

- Archiduino Eagleデータ
- Archiduino Fusion PCB 発注用データ

Fusion PCBへの発注については、このデータをそのままメール送信していただければ大丈夫ですが、ファイル名を所定の形式に変更する事を忘れないようにして下さい。

20111205

Archiduino Project - vol.21

建築系におけるArduino利用計画としての「Archiduino Project」。

今回のMTM07では、私も参加させていただいている早稲田大学の「WIZDOM」メンバーらと一緒に出展しました。昨年度はブレッドボード上で構成するArduinoをほぼ原価で販売させていただきましたが、今回はPCBサービスを使って試作した「Archiduino」をこれまた材料込みのほぼ原価で販売させていただきました。時間の都合で5セットしか準備できませんでしたが、ありがたいことに完売となりました。(本当はもっと用意するはずだったのですが、もろもろの事情により発注が遅くなり、結局PCBから発送された基板が期日に間に合いませんでした。)

さて、そんな奇特な5名の購入者の方向けに、説明不足を補うための注意事項を以下に書き残しておこうと思います。

★はんだ付けする前の準備
・部品はすべて(XBeeチップ・ACアダプタ除く)同梱されておりますが、ご確認下さい。注意点としては、積層セラミックコンデンサが0.1uF(7本)と22pF(2本)のものがあります。22pFのものはクリスタル用です。抵抗は2本、1kOhmと10kOhmです。レギュレータは5V500mAのものと3.3V500mAのものがありますので、実装する際に注意して下さい。
・ATmega328Pを使っていますが、ブートローダは事前に書き込む必要があります。ブートローダの書き込みはこちらを参考にしてください。私も秋月の通称「秋月duino」を使用しております。はんだ付けしてからの書き込みはできない(はず)ですのでご注意下さい!ブートローダは一度書き込めば二度は必要ありません。スケッチのアップロードは後からでも出来ます。なお、スケッチのアップロードにはこちらのシリアルアダプタが必要です。

★はんだ付けをする際の注意
・はんだ付けの順番を間違えると実装できない部品が出てしまうので注意して下さい。特に裏面(XBee側)の1.27mmピッチの10pinソケットは、IC実装後には実装できなくなります。XBeeをつかってセンサーネットワークノードとして利用したいとお考えの方は、この点には特に注意して下さい。
・順序としては、最初に裏面の10pinソケットを実装し、表面の中央部分の部品から外側に向かって(ATmega328→DCジャック→22pF→16MHz→レギュレータ→0.1pF→47uF→10kOhm→0.1uF→1kOhm→LED→14pinソケット)実装していきます。隣の部品との間隔が狭いところがありますので、はんだの量に注意して下さい。
・レギュレータは2種類あり、REG1のプリントがある方が5V、REG2が3.3Vになります。
・クリスタル横の2つあるコンデンサは22pFです。
・電解コンデンサは両方とも47uFです。極性に注意して下さい。
・LEDは切り欠きのある方が基板内側です。

★使用上の注意
・スケッチのアップロードは上述したとおりです。XBeeチップを載せたままではアップロードできませんので、アップロードする際はお手数ですがはずしてください。
・アップロードする際、Arduino IDEのBoard設定は「Duemilanove」にしてください。
・マニュアルにもピン配置は記載してありますが、ATmega328Pの配置と同じ順番です。ただし、D0・D1pinはXBee用に使用しているので、XBeeを使う方はこれを使用できません。
・レギュレータ部分の発熱が80℃近くなります。通常の紙の着火温度は超えませんが、やけどなど気をつけて下さい。
・ACアダプタは9V1A程度のもので大丈夫です。12Vだと尚熱くなります。

現段階では以上です。質問はTwitterでお寄せ下さい。

追記:
・はんだ付けによるICの損傷を気にする場合は、28ピンのICソケットを使用して下さい。
・2つある電解コンデンサはそれぞれ秋月電子でレギュレータを購入する際に付属するものを使用していただいて構わないかと思います。その場合、47uFではないものになると思います。容量が変わったことで、厳密にどういう影響があるかまで私は知り得ないのですが・・・(^_^;)

20110829

日本性神巡り - vol.1

日本各地に点在する「性神」を巡る旅。

その第1回目の記事は、性神伝承のなかでも特に有名な、道鏡に由来のある金精神社巡りについて取り上げることとする。場所は群馬県片品村に位置するが、この小さな祠へアプローチするには、国道120号、通称ロマンチック街道にある金精トンネル栃木側出口から若干の登山を経なければならない。そしてその山道はちょっとだけ険しいので、軽装での登山には注意を要する。トンネル付近の駐車場に車を止め、そこから延びる登山道から30分程度の山道を登る。今回はその山道を実況的に解説したいと思う。20歩ごとに一枚ずつ写真を撮影しているので、距離感の参考にして欲しい。

金精神社(wikipedia)

駐車場にある登山道の説明看板。金精神社についてはあまり情報がない。

登山道入り口付近。

看板が心許ない。

最初は土留めのコンクリート壁の縁を歩く。





ごつごつした岩肌の道を上っていく。既に心が折れはじめる。


ロープは積極的に利用した方が良い。写真ではわかりにくいが、道中はそれなりに傾斜がきつい。








ゴツい道は序盤だけ。






数日前の土砂降りで土砂崩れ的なものがあったようだ。登山道の途中が一部崩壊していた。崖側に滑り落ちると大怪我だろう。

この辺から森に囲まれる。



なんどでもいうが、ロープは使おう。先人の心遣いに感謝。


木々の根っこが階段になっている。


倒木もある。




階段の一段一段の蹴上げが膝下くらいまでの高さがあるので、体力的にかなりきつい。休み休み行くべき。




はしごを使って上っても良いし、これをよけて斜面を歩いても良いだろう。

ロープは(略。




徐々にではあるが、木立の生え方に変化が現れつつある。木が細く、散在するようになってきた。

途中に一カ所、案内が出ている。



ゴールに向かって一部下り坂のシーンがある。足場が悪いので注意。

前方になぜか中華風の祠が見える。残念ながらこれが目当ての金精神社である。


笹とアザミが足下に茂っている。

峠を登り切ったところ。いくつかの登山ルートの合流点なのだろう。

金精神社に到着。所要時間は片道30分くらいではないか。外観は神社というよりも寺院、それも道教の寺院とでもいうような外観である。(これってもしかして道教と道鏡を掛けているのか?)

金精神社内観。中央に50センチほどの陽石が据えられている。天然石を砕いて整形したようなつくりである。カリの部分が生々しい。

内部は思っていた以上に荒れておらず、度々参拝者がきていることが推察できる。この手の神社には珍しく南京錠で扉が封鎖されておらず、扉が風雨で開くことがないように置かれた石をよければ内部を見ることが可能である。祠自体はコンクリートブロックによる組積造で、外側を漆喰で塗り込めている。外側の漆喰は一部崩落している。

場所的にもよほど性神信仰に興味のある人か、あるいはたまたま通りかかった登山客ぐらいしか参拝者は訪れないだろう。たまたま通りかかったぐらいでは、この味気ない建物の中に何が入っているかなんて、わざわざ扉を開けて確かめることもないだろう。そんな寂しさの中に、道鏡が残していったとされるご神体が安置されているのだ。何とも切ない。

この神社らしからぬ神社は、そもそもコンクリートブロックの組積造である点も珍しいが、他の性神を祀る神社に比べて異なる点はといえば、水のわき出る泉や井戸、手水舎などが無いこと、山の稜線上に位置すること、祭りを行うための舞台(神楽殿や土俵など)がないこと、などがあげられる。

性神巡りをするにあたり避けては通れぬ場所――一度は行っておかねばならない場所――であるから行ってきたわけだが、なぜこんな場所にご神体が追いやられることとなったのか興味深い。