日本各地に点在する「性神」を巡る旅。
その第2回目の記事は、いまだに性神信仰の影響が色濃く残り、原点ともいうべき場所である岩手県の遠野を巡ったときの事をレポートしたいと思う。この遠野巡りは私にとっては初めての「性神巡り」の旅であった。
遠野を訪れたのは2009年の夏のことであった。仙台で行われた建築学会での講演を終えて、その足ですぐにレンタカーを借りて岩手に向かった。途中で気仙沼にある石山修武の「リアスアーク美術館」に立ち寄るなどし、深夜に遠野駅前に到着、その日は近所の駐車場で車中泊し、夜を明かした。翌日はあいにくの小雨模様で、性神巡りをするにはちょっと足下が心許ない感じではある。
実はこの遠野巡り、事前にリサーチすることなく半ば思いつきではじめたものであった。したがって、最初はどういうところを探せばいいのか全く見当もつかなかったので、手当たり次第に神社や祠を地図から探し、片っ端から覗いて廻った。最初の2カ所くらいは普通の神社でまったく収穫がなかったが、3カ所目くらいでようやくたどり着いたのが「程洞金勢様」と呼ばれる程洞金勢稲荷である(写真1枚目)。
この祠には陰石と陽石、あるいはそれらを象った木造が安置されている。見たところ、真新しいものも見受けられるので、現地の人の中には変わらず信仰を続けている人がいるのかも知れない。境内は針葉樹と広葉樹の混じる斜面に設けられており、最寄りの道路からは少々山道を上がる必要がある。参道は坂道で、決して大きくはない鉄製の鳥居を途中でいくつかくぐると社殿と祠にたどり着く。社殿の方には特に何もなかったように記憶している。祠と社殿との間には清水の湧くところがあり、この日の天候のせいか、蕩々と水が流れていたのを記憶している。
境内にある杉の巨木は根本付近で二股にわかれており、分かれ目付近に注連縄が施されている。これは言うまでもなく女性器の隠喩であろう(写真2枚目)。
次に向かったのは「山崎金勢様」と呼ばれる陽石の祠である(写真3枚目)。山崎地区の集会所の駐車場に車を止め、そこから徒歩で向かうがこれは大した距離はない。おそらく自然石なのだが、もしかすると多少は人為的に手が加えられた形かも知れない。これも注連縄が施されている。
陽石を見学した後、車に戻る際に集会所の中を覗いてみて思わず喫驚した。こぢんまりとした御輿の上に、男根を象った「ご神体」らしきが鎮座しているではないか(写真4枚目)。その後方には祭の時の様子を写した写真が掲示されており、これを担いでいるのはどうやら地元の子どもたちのようである。まだ年端もいかない小学生の子供らがこれを担いで集落を練り歩く姿は、性神信仰がまだこの地域には根強く残り、大人らの狭隘な衛生化(サニタライズ)の手からこの文化が守られていることが推察できる。また、「山崎金勢さま音頭」が掲げられており、その歌詞は男女和合の明喩・隠喩がちりばめられている。